引退選手との思い出

ありがとう平成の怪物!甲子園・プロ野球界を盛り上げてくれた松坂大輔選手がついに引退!

ありがとう松坂大輔

こんにちは、リャオヘーです!

2021年10月19日

ついにこの男にも、引退の時がやって来ました。

 

最後の登板は、わずか5球。

結果は四球。

それでも、この5球を、僕は一生忘れないでしょう!

そして、全ての野球ファンが同じ想いだと思います。

 

見ていて、涙を流さずにはいられませんでした。

ありがとう松坂大輔!という想いはもちろんですが・・・

 

あの松坂が・・・こんなストレートしか投げられないのか・・・

松坂世代の5歳下の僕ら世代にとっては、松坂といったら、超がつくほどの憧れの選手です!みんなが松坂に憧れて野球をやっていたと言っても過言ではないはずです。

 

あの5球、正直辛かったです。

でも、こんな状態になるまで、野球をやりきったのが松坂の美学!

最後まで感動を、本当にありがとうございました!!

 

それではここからは、僕個人の、松坂選手との思い出などを語らせて下さい。

 

甲子園・横浜高校時代の松坂大輔

松坂との出会いは、松坂が横浜高校時代の3年生の時。

つまり、あの伝説の夏の甲子園大会の時である。

当時中学1年の僕にとっては、野球を本格的に始めた時でもあり、野球部の間でも松坂の話でもちきりだった。

 

そして、僕にとって初めて見た甲子園の試合が、おそらく「あの試合」だった!

「第80回全国高等学校野球選手権大会」の準々決勝である。PL学園相手に、延長17回250球を投げて、松坂が完投勝利をあげた試合です。

後に松坂自身、甲子園で一番記憶に残る試合と言っているとおり、テレビで見ていた僕にとっても興奮がおさまらなかったのを覚えています。

当時、プロ野球・ドラゴンズにしか興味のなかった僕にとっては、松坂の与えた衝撃は相当なものでした!

 

そして、京都成章高校との決勝戦では、松坂はノーヒットノーランを達成し、伝説となりました!

野球部の練習がほぼ毎日あったはずですが、ラッキーなことに、ちょうどこの2試合はテレビで見ていた記憶があるんですよね。

いずれにせよ、これが僕が初めて見た松坂の姿でした。

 

プロ野球・西武ライオンズ時代の松坂大輔

プロに入っても松坂はすごかった!

1999年といえば、僕ら中日ドラゴンズファンにとっては、最も忘れられないシーズン!

開幕11連勝から一気に優勝まで走った、思い出深いシーズン。

それでも、その裏で魅せる松坂の活躍にも驚かされたものである。

 

プロ初登板の1回裏、片岡篤史さんを三振に奪った155kmのストレートは忘れられませんよね!片岡さんのものすごいフルスイングが余計に松坂のすごさを演出していましたが。

そしてその後も活躍し、シーズン16勝をあげて最多勝に輝きます。高卒ルーキーがいきなり最多勝なんて、最近の野球ではちょっと考えられないですよね!

それだけ松坂大輔という男は別格でした!

 

初めて生で観た松坂大輔のピッチング(9回完封勝利)

僕が初めて生で松坂を観たのは、2005年のことでした。

このシーズン、松坂史上最多の226奪三振でタイトルに輝くことになるのですが、これが松坂か!!と驚かされたというか、興奮したのを覚えています。

 

このシーズンは、セ・パ交流戦が始まった年でもあり、僕が大学生になり東京に行った年でもありました。

西武ドームの割と近くに住んでいたため、西武ドームで行われる「西武vsドラゴンズ」は大イベントであり、4年間欠かさず行きました。

そんな僕にとっての、初めての西武ドームで、松坂は見事完封勝利をあげたのです!

逆に言うと、完封負けをくらったんですけどね(笑)

でもなんか、あまりの完璧なピッチングに、すがすがしさまで感じた記憶があります。ただの野球ファンとして、それだけ松坂のピッチングは輝いていました。

 

その後も、西武ドームでバイトをしていた僕にとっては、何度も何度も松坂のピッチングを肌で感じることになりました。

松坂を2年間見続けた後、2007年シーズンからは、メジャーへ。レッドソックスで活躍していくことになるのです。

 

まさかの、中日ドラゴンズにやってきた松坂大輔!

中日ドラゴンズ時代(松坂大輔とドアラ)

そんな、僕らの世代にとっては憧れの松坂が!

11年後に、我がチーム中日ドラゴンズにやってきました!!

 

メジャー・ソフトバンク時代はとばしますね。

そして、この11年の間に、僕の状況もすっかり変わってしまい、まさかの病気を患い、ナゴヤドームへ応援に行ける状態ではありませんでした。

 

正直、複雑な気持ちでした。

スーパースター松坂がドラゴンズにやってきた嬉しさよりも・・・、せっかく「あの」松坂を、自分のチームの選手として応援できるチャンスが来たのに・・・

素直に喜ぶことは出来ませんでした(苦笑)

 

もう1つ喜べなかった理由が。

そこには、僕の知っている松坂はいなかった。松坂の全盛期に心躍らせてきた世代だからこそ、なんとか「名前」と投球術だけで抑える松坂の姿は、少し辛かった。

でも、全盛期の松坂を知っているからこそ、松坂自身が背負ってきた(自分が思うような球を投げられない)辛い想いも少しは分かってあげられた。

そして、ピッチングスタイルを変えながらも、6勝という結果を出した松坂のすごさも分かるつもりです!

そうです!この年、松坂は6勝をあげ、中日ドラゴンズで復活を果たし、カムバック賞を受賞したのです。

 

ただ、ドラゴンズファンとしては、厳しい意見も言わせてもらいます!

松坂に6勝させるために、中継ぎ陣への負担はもちろん、他の選手の登板機会を減らすことになったりもしました。実力だけの勝負ではなかったと思っています。

そんな中、この程度の成績で6,500万ものアップ査定は、他の選手への示しがつかないだろ!とも感じていました。

とはいえ、グッズ販売の収益や、「松坂」という存在が若手選手へ与えた影響の大きさは計り知れないところはありますけどね。

 

ドラゴンズでの2年目は、0勝という結果で終えました。

そして松坂は言った。

「もういいやと思ってしまえば辞めてしまうかも…。」

「それでも、求められるなら現役選手として続けたい。」

 

当時の僕の手記に、こんな言葉が残されていました。

球団の意向は別として、松坂に現役の意志があるのならば。

ドラゴンズに来てくれて2年。あのスーパースターが自分の応援するチームに来てくれたのに、生観戦できないのは辛かった!

少なくとも、もう1年だけでも俺にチャンスを下さい!来期こそ、必ずナゴヤドームに行きます!!

 

そして中日球団は、松坂に残留の方針を示してくれました。

それなのに、「森繁和監督がいなくなるのであれば、僕はここにいちゃいけない」というわけの分からない理由で、本人の意思で退団しました。

現役続行したいと言っていたのに!そしてその後、最初から決まっていたかのように、古巣である埼玉西武ライオンズへの入団が発表されました…。

 

何でもありかよ!正直、松坂には残念な気持ちでしかありませんでした。

まあ、嫌みの一つでも言わせて下さいよ!笑

それだけ、僕だって松坂という選手を、ドラゴンズのユニフォームを着た松坂大輔の姿を!

一度でいいから見てみたかった!

 

サヨナラ松坂大輔!西武のユニフォーム(背番号18)で引退試合

そしてその後・・・

西武で2年間、マウンドに上がることはなく・・・

引退試合を迎えました。

松坂大輔、引退試合

この姿を見て、僕は思いました。

やっぱり、松坂は西武のユニフォームが似合うよ!

西武球場(メットライフドーム)のマウンドが一番似合うよ!

 

これで良かった!

最後は、西武の松坂として終われて良かった!

やっぱり、大学生の時に見た、西武球場での松坂の姿が忘れられません!

 

右手中指の感覚は今もないそうです。

そんな中、野球を続けることを諦めなかった姿は、全盛期の「その姿」よりも、僕にはかっこよく映りました!

ホントにお疲れ様でした!そしてありがとう!!

これだけのレベルで、栄光と挫折の両方を経験した人は、そうはいないと思います。

野球界だけとは言わず、その経験がきっと・・・

多くの人の力に変わる日が来ることは間違いない!

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です