プロフィール

はじめまして、当ブログにお越しいただきありがとうございます。

愛知県在住(岐阜県出身)のリャオヘーと言います。

地元ということもあり、小さい頃から、大の中日ドラゴンズのファンです。

観戦だけではなく、小さい時からずっと、野球のプレーもしてきました。

2020年の甲子園の中止、プロ野球の開幕延期や無観客試合など、個人的にかなり衝撃を受けました。

そんな中、自分なりの「野球との関わり方」を模索していました。そんな理由から、今回ブログを始めてみよう!と思った次第です。

いろいろな方向から、野球の楽しさ・野球が世の中に与える影響や可能性について、一緒に考え伝えていきたいと思っています。これを機に、野球に興味が無かった方にも、野球のファンになってもらえたら嬉しいです!

 

以下、「僕と野球・ドラゴンズとの関わり方、好きになった選手など」を時系列で紹介することで、自己紹介とさせていただきます。よろしくお願いします。

2歳の頃、家の中で投げたゴムボールが、僕の野球人生の始まり(笑)

3歳の頃、岐阜の長良川球場で、初の野球観戦。ここから中日ドラゴンズのファンとなり、30年来の付き合いとなっています。

小学1年生になり、初めてプロ野球選手に生で会いました。前年に打率3割を打った、ドラゴンズ史上最高のスーパースター、4年目の立浪和義選手でした。

当時はまだ、デジカメもなく「写ルンです」の時代です。順番に立浪選手と握手をしていく中、僕の母は焦ってしまい、なかなか写真を撮ることができませんでした。

そんな時、立浪選手は握手したままずっと待っていてくださいました。これだけのスーパースターがですよ!選手としてだけでなく、人間としても素晴らしい立浪さんに惹かれていったのは当然の流れでした。

※2022年シーズンからは、待望の中日ドラゴンズ監督となりましたね!1年目から苦労していますが、立浪さんほどの人間力があれば、必ずドラゴンズを変えてくれるはずです!

初めて好きになった野球選手として、立浪選手のファンとなり、プロ野球選手になることを決めました!立浪さんに憧れて、野球を始めることになりました。

 

その後、小学校4年の時、翌年ノーヒットノーランを達成することになる野口茂樹が大好きになります!小学生の頃は、僕にとっては、立浪・野口時代でした(笑)

中学生になり、本格的に野球を始めることになりました!ポジションは、サードとショートでした。中学校3年間が、圧倒的に一番野球を頑張った時期でしたね!

当時の監督は、厳しくも愛を感じる方だったので(星野監督のような感じですかね)、自然と野球に力が入っていきました。

中学2年の時、川上憲伸選手が好きになり、ここから6年間は、野口・川上時代というのが、僕の中では続きました。めちゃくちゃ好きでしたねー。中高の頃は、野球以外何も目に入っていなかったので、この頃の選手達は、特にスーパースターのイメージです!

野口・川上とは別に、とにかく目標として憧れていたのが井端弘和選手でした。中学・高校・大学と、常に井端さんをイメージしてプレイしていた記憶です。

高校に入学する時(中高一貫だったため、中3の終盤から)、まだレギュラーではなかった井端さんのTシャツを作り、このTシャツで部活を行っていました。当時は、なんで井端?みたいな周りの反応でしたが、その後の井端選手の活躍は言うまでもありませんよね!

僕の目に狂いはなかったのです!笑

 

2005年に大学生になりました。

大学入学と同時にプロ生活を始めた中田賢一選手。高校時代にとんでもない衝撃を与えてくれた中里篤史選手。大学4年間は、完全に中田・中里時代でした!

もちろん、野口・憲伸・立浪・井端の4選手も大好きなままです。中田賢一(現・阪神)に関しては、ここから現在に至るまで、ずっと一番大好きな選手です!

この大学4年間は、ドラゴンズ観点から考えても、めちゃくちゃ幸せな日々でした!

初めて行った敵地での応援となる神宮球場。楽しかったなあ。まだ大学の授業が始まる前のことでした(笑)

同時に、西武球場でバイトも始めました。大学入学と同時に、楽天イーグルス球団ができ、交流戦も始まりました。最高のタイミングでしたね!

そして何と言っても!大学2年~大学4年の途中までの間。観戦に行った試合が、24連勝を達成するという、幸せどころではない時代でした(いくら強かった時代とはいえ)!負けるということを知らなかったもんなあ。お金なかったから祝杯はあまりできませんでしたが。

この24連勝の中には、2006年の東京ドームでの胴上げも観ることができました!2007年に関しては、人生初めてナゴヤドームには行けなかったシーズンでしたが、敵地だけで11連勝を観させてもらった、ホントに幸せな1年でした!

 

一方、自分のプレイの方に関しては、思い通りには進みませんでした。

大学は早稲田大学に行きました。小学生の頃に、なんとなく早稲田行って六大学で野球してプロに行こう!と思っていたからです。

とはいえ、大学に入学する頃の僕には、プロ野球選手になるということは、目標ではなく夢でした。いや、夢のまた夢でした。そんなわけで、早稲田野球部に入ることはなく、サークルで4年間野球を楽しみました。

ほとんど楽しむ野球でしたが、大会前には真剣な時期もあって、サークル自体は楽しかったです。が、大学2年の6月に右肩を壊しました。

これは辛かったなあ。守備がウリだった僕としては、肩を痛めたのは致命的でした。歯磨きとかもきつくて、日常生活にも支障が出ていたしけっこう辛かったですね。

今となっては、これくらいのことって思うような経験をたくさんしてきたけど、当時の僕には人生最大に辛かった出来事でした。

ただ、僕はけっこういい意味でバカだったので、大学4年生の時に、最後に1年!ドラフトに引っかかることを夢見て、ドラゴンズOBの谷沢健一さんに野球を教えてもらうことにしました(笑)

谷沢さんはめちゃめちゃいい人でした!最後にこの人の元で野球をやれて良かったです。そして、当然のことながら、最後のドラフトで指名されることはなく、僕の野球選手になりたいという夢は完全になくなりました。

この年のドラフト1位が、後に大好きな選手となる野本圭選手だったことも、しっかりと諦めをつけさせてくれました(笑)

 

そして、2009年から社会人となります。

ドラゴンズの地元・名古屋に戻ってきました。社会人になってからは、完全に中田・井端時代でした。断トツでこの2人が好きすぎました!

他にも、野本・岩瀬・高橋聡文・大島・山井の5選手も、特に好きな選手でした。ほとんど好きな選手ではあるんですが(笑)

社会人になってからも、基本幸せな野球生活を過ごさせてもらいました。毎年10試合以上はナゴヤドームや他の球場に観戦に行けたし、8割くらいは勝たせてもらいました。

 

そんな中やってきた2013年のオフ…。

真実は分からないので、多くを語るつもりはありません。それでも、落合GMと中日球団が井端選手にしたことがどうしても許せなくて…。

僕はドラゴンズと離れる決意をしました。めちゃくちゃ迷いましたよ!中途半端なドラゴンズ好きじゃなかったから!めちゃめちゃ好きだったからこそ、球団に不信感があるまま応援することはどうしても出来ませんでした。

野球から完全に離れることはできなかったので、2014年シーズンは、ホークスに移籍した中田賢一選手を応援することに徹しました。大阪とか仙台にまで足を運んだ自分にはビックリしましたが(笑)

ドラゴンズが全てだった僕にとっては、好きなチームを応援できないことはホントに辛かったです。そんな中、2014年オフに、同じく落合GMから信じられない言葉と提示を受けた大島洋平選手。

もう決定的に戻れないかも…と思っていた矢先に、偶然、大島選手とお話しをさせてもらえる機会を設けてもらいました。話した内容は絶対に言いませんが、この時大島選手といろいろ話すことができてスッキリしましたし、やっぱりドラゴンズを応援したいと!

2015年から再び、ドラゴンズを全力で応援していくぞ!と思っていた矢先でした…。

2014年の1年間は、想像以上に僕にとって負担だったのかも?しれません。タイミングが偶然ではないと思ってしまいますが、それはとりあえずおいといて。

2015年シーズンの途中、僕は突然の病気発症。

ここから2022年シーズンに至るまで、生観戦はおろか、テレビ観戦もほとんど出来ていないので、各選手の情報や性格、プレイスタイルなどには、正直詳しくはありません。

また0から野球を学んでいきたいと思っています!なかなかナゴヤドームに足を運ぶといったことは今は難しいと思いますが、自分なりにドラゴンズを中心に野球というものを分析し、面白い記事などが書けたらなと思っています。

 

ちなみに2022年現在、特に好きな選手は、大野・大島・福留・岡田の4選手です。

別途、大谷翔平選手を、選手としてはもちろん、人間としても大尊敬しています!

それでは皆さん、今後ともよろしくお願いします!